世界中で老若男女から愛され続けているポケモン。当時のポケモンブームはものすごいもので、ポケモンと付く商品なら何でも飛ぶように売れた時代でした。
誕生から20年以上も愛され続けている作品ですが、アラサーである我々は少年少女時代をポケモンで過ごした世代なので、特に思い入れが強いです。
ここでは当時の初代ゲームのすごさや当時のブームを振り返っていきます。
Contents
第1世代ポケモンのすごさ -あるあるを添えて-
そんな初期世代の私が、初代ポケモンシリーズや当時のブームや熱狂がどれほどのものだったのかポケモンあるあるを添えて、書いていきたいと思います。
「ポケットモンスター」誕生はゲームから
第一世代とも言われる『ポケットモンスター赤・緑』は1996年に初代のゲームボーイ用の携帯ゲームとして発売されました。
当時のゲームボーイソフトにしては、内容やゲームシステムがとても手が込んでいて、敵を捕まえて、図鑑を完成させながら仲間にして育てるRPGゲームとして子供たちの心をわしづかみにし、大ヒットしました。
また、初代のレポート機能は手動でした、しかもゲーム機のゲームボーイは電池式だったので、残量が切れると突然シャットダウンです。ゲームボーイに残量ランプはついていたのですが、「電池を最後まで使い切りたい思い」と「切れたらやり直し」との狭間で子供たちは戦っていました。笑
ちなみに最新のポケモンは手動のレポートのほかに場面ごとに自動レポートしてくれる機能があります。
電池のランプが消えてくるとあせって頻繁にレポートしがち
「レッド」「グリーン」の2バージョンで発売
当時の子供たちの情報源は、今も放映されているテレ東系列テレビ番組「おはスタ」と子供向け雑誌「コロコロコミック」でした。ポケモンは発売前から大きく取り上げられいて、発売が近くなるにつれて少しづつ情報が解禁されていく感じが子供心をくすぐり、たまらなかったです。
そして学校に行ってその情報を友達と共有して楽しんでいた時代でした。初期作品から2パターン展開で発売されて、赤・緑の2択でみんな迷っていました。
そんな中、私は当時一番仲良かった親友と「一緒に緑を買おう」という謎の約束していました。
そして発売当日、表紙にフシギバナが描かれた緑買いましたが、友達はかっこいいリザードンのイラストに釣られ、赤を購入していたのです。
子供ながらに初めて「裏切り」を経験した瞬間でした。ここで、友達に怒らなかったことは、大人への大きな第1歩になった気がします。笑
赤か緑かで友達や兄弟ともめがち
ポケモンにニックネームをつけて愛着
「ポケットモンスター」の醍醐味はなんといっても、敵のモンスターをモンスターボールで捕まえて、仲間にし、図鑑を完成させることです。
しかも仲間にしたモンスターには「ニックネーム」をつけることができました。先ほど、私は緑を買ったといいましたが、最初に選んだポケモンはリザードンに進化する「ヒトカゲ」でした。友達に赤を買われたことが悔しかったのでしょう。
ニックネームをつける画面になり、そのままの名前にしたかった私は「ヒトカゲ」と入力しました。わかる人はわかりますが、ニックネームで「ヒトカゲ」としてしまった僕のヒトカゲはリザードに進化しても名前が「ヒトカゲ」でした。笑
ニックネームでふざけて後悔しがち
苦労したポケモンのレベル上げ
当時のポケモンはバトルに出してモンスターを倒さないと経験値がもらえませんでした。
弱いポケモンを育てようとすると、最初に戦闘に出しておいて、ほかのポケモンに入れ替えて敵を倒すという一手間がありました。その一手間が面倒なので、結局最初の御三家ポケモンばかり強くなってしまいます。
ストーリーを進めると「がくしゅうそうち」という手持ちポケモン全員に経験値を振ることができるアイテムを手に入れられましたが、敵1体の経験値を6体で割り振るので、1体あたりのもらえる経験値は微量でした。
最初の御三家ポケモンだけでストーリー進めがち
当時から固体値や努力値が存在していたという事実
子供向けゲームと思いきや、かなりやりこみ要素もありました。それは「固体値」や「努力値」が存在していたことです。
「固体値」・・・同じポケモンでもそれぞれの固体で能力の強さが違っており、捕まえるポケモンによって能力の個性がある隠し数値。
「努力値」・・・自力でポケモンを育てる上で、倒したポケモンの種類によって、経験値とは別で貯まる能力の隠し数値。倒した相手のポケモンによってたまる能力ポイントが違います。(ポッポなら「すばやさ1P」など)
つまり何が言いたいかというと、同じポケモンでも、捕まえた固体やトレーナーの育て方によって能力が変わり、同じ強さのポケモンができないように工夫されていたのです。初期のゲームボーイ作品でここまで、モンスターやキャラ、設定、システムにこだわった作品は他にあったでしょうか!もう爆発的に売れて、長年愛される作品になると相当自信を持って製作された歴代のゲームの中でも神ゲーだと思います。
タウリン、インドメタシンなどは「意味の分からない高い薬」という謎のまま全クリしがち
技マシンでバトルに戦略性がでた
ポケモンのすごかったところは、151匹というモンスターを戦わせることができるだけでなく、モンスターが覚える技のほかに、技マシンを使って技をカスタマイズできるところでした。
これにより、同じモンスターでも、戦略が広がり奥深いバトルが実現し、他のゲームとは一線を画していました。
また、初代ではひでんマシンという冒険を進めるうえで、必要な技を覚えさせる必要があり、手持ちポケモンの中に「そらをとぶ」を覚えているポケモンがいないと、ほかの町に飛ぶことができませんし、「なみのり」を覚えているポケモンがいないと海を渡ることができませんでした。
手持ちの入れ替え面倒だから、ひでんマシン要員のポケモン作りがち
交換で友達が増えた
また、当時は人の持っているゲームカセット同士で交換できたり、対戦できたりすることが画期的でした。
それをするためには、専用の通信ケーブルを繋げなくてはいけなかったし、持ってるゲームボーイの種類で端子が違っていて、それを変換する「変換コネクター」というものもありました。
「変換コネクター」持ってた人ヒーローになりがち
遊び終わった後はバグや裏技で遊ぶ
初代ゲームボーイの緑、赤、青のシリーズは非の打ち所がないほど、いい作品でした。しかし、バグが簡単に発生するという問題がありました。そのバグを利用した裏技がいくつかあったため、もう遊びつくした子供たちはバグで遊ぶようになっていました。例えばアイテムの100レベル裏技や持ち物増殖裏技など超有名でした。そうなってくるともう対戦しても面白くなくなってきて、徐々にゲームのブームは自然と落ち着きました。
バグで名前がめちゃくちゃなポッポがたくさん量産されがち
空前のポケモンブーム|アニメ化と関連グッズ
当時のポケモンブームはものすごいもので、ポケモンと付く商品なら何でも飛ぶように売れた時代でした。
アニメが放映されたときの感動とあの事件
そのゲームがテレビアニメで放映されることになったときの反響はすごかったです。あのゲームボーイのドット絵と電子音で作られた鳴き声だったポケモンがテレビアニメで声優の声で表現されたポケモンを見たときの興奮といったら計り知れません。
毎週毎週興奮しっぱなしの日々を過ごしていたところ、ある事件が起こりました。
通称「ポケモンショック」です。これは、1997年12月に放送された第38話「でんのうせんしポリゴン」という話の中でピカチュウの「10まんボルト」の光など光の点滅が多いシーンで一部の視聴者が体調不良を訴えたり、病院に搬送された事件で、原因は激しい光の点滅を断続的に見たことにより、光過敏性発作が引き起こされたためとされています。 当時私も食い入るように見ていましたが無事でした。
子供にはちょっと難しかったカードゲーム
そのほかにもポケモン関連のグッズやおもちゃがめちゃくちゃ出てました。ポケモンのデザインを入れておけば何でも売れるような社会現象でした。
前に「妖怪ウォッチ」ブームもありましたが、それ以上にすごかったと思います。そんな中でも特に流行ったのが「ポケモンカード」です。意外にもルールがしっかりしていて、効果や説明が難しかったので若干大人向けでした。
当時小学生低学年だった僕たちの周りのグループはエネルギーカードやダメージカウンターを使ったちゃんとしたルールで遊んでいる人がほとんどおらず、HPとダメージの数字だけで戦わせて遊んでいました!笑
まとめ
以上、ポケモンの初期シリーズや当時のポケモンに熱狂していたブームを振り返ってみました。20年以上も経った今でもここまで愛された作品になっており、本当にすごいですよね。この初期のポケモン世代が今、結婚し親になっているので、子供と一緒にポケモンを楽しめる、いい時代だなぁとしみじみ思います。
2022年11月18日にはゲーム完全最新作「ポケットモンスタースカーレット・バイオレット」がニンテンドースイッチで発売されます。
第1世代の皆さんもそうでない方も、当時のポケモンの思い出に浸りながら、最新作を楽しんではいかがでしょうか。